第12回 西宮市と湯川秀樹 お住まいシリーズ10
秀樹さんのお住まいというと京都市があげられるが、生涯を通じてというと京都市の次に長いお住まいは西宮市で、その次はニューヨーク市となります。養子にいった湯川家は大阪であり、また中間子論発表当時は大阪大学勤務であったので、 […]
第11回 大阪、西宮へ お住まいシリーズ9
1931年春、秀樹さんは京大講師に任じられて量子力学の講義を始め、翌年には新設の大阪大学の講師に任じられて、大阪大学理学部物理学科の菊池正士教授の研究室の一員となった。 1931年秋に京大事務局長から大阪の開業医湯 […]
第10回 塔ノ段の家 お住まいシリーズ8
塔ノ段通の家は秀樹さんの父小川琢治が、京大定年を見込んで、自分の家として購入したものでした。琢治は東京での新婚時も京都に来てからもずーっと借家だったのである。この地域の住宅は京大創設時頃にまとまって新築されたようで、初 […]
第9回 京都大学物理学科に お住まいシリーズ7
昭和にはいった1926年、秀樹さんは京大の理学部に入学していよいよ物理学の研究の道を歩み出しました。新入生は学部長の前で署名をする慣わしなので、理学部長だった父琢治の前で署名しました。いま、理学部は今出川通りの北の北白 […]
第8回 三高生の時の英語の物理教科書 お住まいシリーズ6
染殿町や東桜町で暮らした秀樹さんの子供時代の思い出である。 「出町には、弁天様があった。出町から今出川の通りにかけて、月に二回、十四日と二十二日に縁日が出た。露店に燃えるアセチレンのにおいは、今もあざやかによみがえっ […]
第6回 荒神橋を渡って一中と三高へ通う お住まいシリーズ5
染殿町や東桜町で暮らした秀樹さんの子供時代の思い出である。 「出町には、弁天様があった。出町から今出川の通りにかけて、月に二回、十四日と二十二日に縁日が出た。露店に燃えるアセチレンのにおいは、今もあざやかによみがえっ […]
第5回 河原町通市電敷設と東桜町の屋敷 お住まいシリーズ4
秀樹さんのお住まいは「転々として」ということを強調してきたが、東桜町の家では比較的長く、小中高の少年時代を過ごした。しかし細かくみると、この期間中にも、一度、隣接する別の屋敷に引っ越しをしている。それは当初の家主の豊岡 […]
第4回 借家の家主はお公家さん お住まいシリーズ3
京都に移って小一年の仮住まいののちに、一家は「寺町広小路上る染殿町の借家に移った。梨木神社の北である。お公家さんの住んでいた大きな家で、この家の庭にも、厚いこけがいっぱいに生えていた。家主のお公家さんは、六条さんという […]
第3回 小川琢治家の人々 お住まいシリーズ2
秀樹さん(1907-1982年)は子供時代の家族と住まいについて次のように書いている。(今回の引用文は全て湯川「二人の父」1942年による。『湯川秀樹著作集』第7巻、岩波書店) 家族は「両親と子供が7人、上二人が女 […]









